2011年08月24日
堺の史跡巡り-2 (2011夏帰省)
昨日のつづきです。
謎の徳川家康の墓があるという、南宗寺です。

こちらが、戦争によって焼けてしまった開山堂の床下から発見されたという、無銘の墓石。
この墓石が、大阪夏の陣の時に戦死してしまった家康の墓石ではないかと、言われています。

この言い伝えでは、家康は大阪夏の陣の時、一時的に窮地に陥り、堺へ逃げるときに乗っていたかごの下から槍で刺されて重傷を負い、そのまま堺で亡くなったため、豊臣家との争いが収まるまでは影武者を立て、大阪夏の陣が終わった翌年に死んだこととするまでの1年間、死を隠していたということになっています(笑)。
そして、
1.) 秀忠・家光ともにこの寺までお参りに来ていること(京都御所はともかく、堺まで将軍自らがわざわざ出向くには、相当重要な人物と関係があるのではないか?)
2.) 偶然見つかった無銘の墓石の横の石板には家康という文字が刻まれていること(石板自体は江戸時代の末期に作られてものらしい)
3.) 堺東照宮(戦争で焼けてしまい残っていない)という建物が寺内に昔あって、その正面にある門には徳川家の葵の紋がかわらに記されていること(徳川家に関係のない場所で勝手に葵の紋が使われていたら、ただでは済まないはずだが、ここでは堂々と使われている)
4.) また、この唐門は近年まで徳川家や力のある大名しか通ることを許されていなかったこと
5.) そして現在、その堺東照宮があった場所に「徳川家康の墓」という石碑が建てられているが、その石碑を建立したのは水戸徳川家の初代家老の子孫の方であり、協力者(顧問)として同じく石碑の裏に名前を列記されている人の中には、当時の堺市長やパナソニック(旧松下電器)創業者である松下幸之助さんの名前があったり、それなりの地位の方々が建立に参加していること
などなど・・・が「家康の墓が南宗寺にあった」という証拠としてあげられているそうです。
こちらが、堺東照宮跡に建てられた「徳川家康の墓」石碑

こっちが、その石碑の裏面

また、日光東照宮に「家康が乗っていた籠」が残っているらしく、その籠には下から槍で突かれたような穴があり、これが堺から家康が逃げるときに槍で刺された時の穴ではないか?・・・とかいうようなことが、説明用として配っていただいた紙に書いてありました。(ちょっと記憶があいまい(笑))
この話、娘の宿題の格好の題材になったようです。
ちょうど、修学旅行に日光へ行くらしく、「徳川家康」のことを調べる!ということになっていたようで、もちろん通常の家康にまつわる史実関係は既に調べていたみたいですけど、それとは別にこういう「歴史ミステリー」的な話が、子供にとっても興味を引いたようで面白かったようです。
謎の徳川家康の墓があるという、南宗寺です。

こちらが、戦争によって焼けてしまった開山堂の床下から発見されたという、無銘の墓石。
この墓石が、大阪夏の陣の時に戦死してしまった家康の墓石ではないかと、言われています。

この言い伝えでは、家康は大阪夏の陣の時、一時的に窮地に陥り、堺へ逃げるときに乗っていたかごの下から槍で刺されて重傷を負い、そのまま堺で亡くなったため、豊臣家との争いが収まるまでは影武者を立て、大阪夏の陣が終わった翌年に死んだこととするまでの1年間、死を隠していたということになっています(笑)。
そして、
1.) 秀忠・家光ともにこの寺までお参りに来ていること(京都御所はともかく、堺まで将軍自らがわざわざ出向くには、相当重要な人物と関係があるのではないか?)
2.) 偶然見つかった無銘の墓石の横の石板には家康という文字が刻まれていること(石板自体は江戸時代の末期に作られてものらしい)
3.) 堺東照宮(戦争で焼けてしまい残っていない)という建物が寺内に昔あって、その正面にある門には徳川家の葵の紋がかわらに記されていること(徳川家に関係のない場所で勝手に葵の紋が使われていたら、ただでは済まないはずだが、ここでは堂々と使われている)
4.) また、この唐門は近年まで徳川家や力のある大名しか通ることを許されていなかったこと
5.) そして現在、その堺東照宮があった場所に「徳川家康の墓」という石碑が建てられているが、その石碑を建立したのは水戸徳川家の初代家老の子孫の方であり、協力者(顧問)として同じく石碑の裏に名前を列記されている人の中には、当時の堺市長やパナソニック(旧松下電器)創業者である松下幸之助さんの名前があったり、それなりの地位の方々が建立に参加していること
などなど・・・が「家康の墓が南宗寺にあった」という証拠としてあげられているそうです。
こちらが、堺東照宮跡に建てられた「徳川家康の墓」石碑

こっちが、その石碑の裏面

また、日光東照宮に「家康が乗っていた籠」が残っているらしく、その籠には下から槍で突かれたような穴があり、これが堺から家康が逃げるときに槍で刺された時の穴ではないか?・・・とかいうようなことが、説明用として配っていただいた紙に書いてありました。(ちょっと記憶があいまい(笑))
この話、娘の宿題の格好の題材になったようです。
ちょうど、修学旅行に日光へ行くらしく、「徳川家康」のことを調べる!ということになっていたようで、もちろん通常の家康にまつわる史実関係は既に調べていたみたいですけど、それとは別にこういう「歴史ミステリー」的な話が、子供にとっても興味を引いたようで面白かったようです。
Posted by - ani - at 21:00│Comments(0)
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